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大津地方裁判所 昭和56年(ヨ)110号 決定

申請人 株式会社菅次堂

被申請人 奥村悦三

主文

申請人の申請を却下する。

申請費用は申請人の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求める裁判

一  申請の趣旨

1  被申請人は、別紙目録記載(一)の店舗に設置されているシヤツター及び広告灯等に表示された菅次堂大路店なる文字を抹消しなければならない。

2  被申請人が本決定正本送達の日から三日以内に前項の文字の抹消をしないときは、大津地方裁判所執行官は、これを抹消することができる。

3  被申請人は、別紙目録(二)記載の営業について同目録(三)記載の商号を使用してはならない。

二  申請の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  申請の理由

1  当事者

(一) 申請人は昭和三七年一〇月一五日に設立以来、滋賀県草津市草津二丁目七番二九号に本店を置き、同所において、「株式会社菅次堂」なる商号を用いて電気器具及び附属品並びに時計及び眼鏡類の販売・修理業等を営んでいる。

(二) 申請人の右商号は、大津地方法務局草津出張所の商業登記簿に登記されている。

(三) 被申請人は、申請人の代表取締役奥村寿蔵の次弟であり、昭和五五年七月三〇日まで申請人の取締役として申請人大路店の営業を担当していた。

2  被保全権利

(一)(1) 被申請人は昭和五五年八月以降、申請人とは何ら関係のない個人として、滋賀県草津市大路一丁目一五番三五号において、申請人の前記商号と同一又は類似の「菅次堂大路店」あるいは「スガジド(ウ)大路店」なる商号を用いて申請人と同一の営業である電気器具及び附属品の販売・修理業を営んでいる。

(2) 右商号使用は、一般公衆をして申請人の旧店舗である「株式会社菅次堂大路店」がそのまま存続しているもののように誤認させ、申請人と被申請人が混同されることは必至であり、現に取引先などが再三にわたり注文もしていない商品を届けたり、間違つて請求書を送つてきたりするという事態が生じている。

(二) 被申請人は申請人と同市内において、申請人の営業と同一の営業のために、申請人の登記した商号と同一又は類似の商号を使用しているので商法二〇条二項により不正競争の目的があると推定されるのみならず、被申請人は申請人の旧店舗である大路店が依然として営業を続けているかのように装い、申請人の取引先及び顧客をその旨誤認させて被申請人の営業利益を図ろうとしていること、更に被申請人は、国鉄草津駅構内に設置されている申請人の広告用看板について、右看板を設置している株式会社駸々堂が申請人と被申請人とを混同誤認しているのを奇貨として昭和五六年七月に右看板を「スガジド大路店」との名称に書替えたり、あるいは申請人が加入し、昭和五五年七月までは申請人を代表して主として被申請人が申請人の専務取締役の資格でその連絡に当つていた滋賀県電気商業組合からの連絡を同年八月以降申請人に一切知らせず右組合の重要な事業に申請人が参加する機会を奪うなどし、世人が被申請人と申請人とを混同誤認していることを利用して意図的に申請人の営業活動を妨害していることなどの事情によれば被申請人において不正競争の目的があることは明らかである。

3  保全の必要性

(一) 申請人の顧客の多くは被申請人の店舗を申請人の店舗であると誤認して取引をなし、その顧客を被申請人に奪われることによつて申請人が受ける営業上の打撃は極めて大きい。また、実情を知らない取引先や仕入先などが申請人と被申請人を混同誤認して、被申請人の取引先からの請求書が申請人に送付されたり、又申請人の注文していない商品が仕入先から誤つて申請人に届けられたりなどすることがしばしばあり申請人の営業面での混乱も大きい。

(二) 本件申請は被申請人の営業行為そのものの差止を求めるものではなくその商号使用の差止を求めるにとどまるものであるところ、その使用差止によつて被申請人の受ける不利益は殆んどないかそれほど大きいものではない、即ち被申請人が得意先等に商号変更の通知を行うことにより営業上の不利益は回避することが可能であるのに対し、商号の誤認混同によつて受ける申請人の損害は将来にわたり継続し増大する一方であるからその不利益は大きく顕著であること及び商法二三条等の規定により被申請人の取引上の債務について申請人が連帯責任を負う危険があることなどを考えれば本件差止めを認むべき緊急性は極めて高い。

二  申請の理由に対する答弁

1  申請の理由1の(一)及び(二)は認める。同(三)については、被申請人は会社創設以来専務取締役の地位にあり、大路店の営業担当のみならず、会社全体の経営、営業等を実質的に主宰していたものである。

2  申請の理由2の(一)(1)について、申請人の商号と被申請人の商号が類似しているとの主張は争い、その余の事実は認める。同(2)の主張は争う。即ち、申請人は被申請人が取締役を退任後、直ちに得意先や顧客に対し「被申請人は会社と関係ない。別個のものだ。」という葉書等を送付したり、同旨の大看板を設置したり、あるいは電話又は口頭で再三にわたり同旨を宣伝したりした(その目的は被申請人への営業の妨害にもあつた)ので、得意先や顧客は兄弟間に紛争を生じた結果分離独立したことを知悉しており、申請人と被申請人を誤認混同することはない。同(二)について、不正競争の目的があることは否認する。即ち、「菅次堂」は大正ころまでは金細工で一定の名をなしていたが、先代寿一の時代に没落し、営業は廃止されていた。被申請人は復員後、申請人の本店所在地において個人で電気小売商を開業し、破産状態に陥り一時期使用されていなかつた「菅次堂」という名称を復活させた。昭和二六年に被申請人の兄寿蔵が復員後、兄弟協力して営業に当つてきたが、経営の主体は被申請人であつた。昭和三七年一〇月一八日に至り、「菅次堂」を株式会社とするに際し、被申請人は兄寿蔵を立てて同人を代表取締役に、自からは専務取締役となつたが、所有株式数は、発行済株式数二〇〇〇株のうち各六四〇株を有し両者平等とした。その後、昭和三九年に現在被申請人の居住する肩書地に「菅次堂大路店」を開店し、その営業を担当するとともに、会社の経営、仕入れ、営業等の一切を担当してきた。右の如く、被申請人は没落した「菅次堂」という名称を自からが主として復興し、株式会社になつてからも主として被申請人の営業上の努力によつて「株式会社菅次堂」はその信用、名声を得てきたのである。従つて、本件は赤の他人が全く独立、勝手に有名商店の商号を使用して、その混同誤認の下に顧客を誘引しようとする事例ではなく、被申請人は自からの固有の商号(即ち、申請人は株式会社とはいえ、いわゆる同族経営的個人会社であり、その実際の経営主体は被申請人であつたから被申請人の固有の商号が吸収消滅したわけではなく、大路店開設後は「菅次堂大路店」を被申請人固有の商号として「株式会社菅次堂」と別個独立に存続してきたものである)として本件の商号を使用しているにすぎず不正競争の目的をもつて類似商号を使用するものではない。また草津駅前の看板の件は、駸々堂の担当者が広告期限が切れたので申請人方を訪れたところ、「もう、けつこう」というような気のない返事をしたので担当者が広告の掲載をやめたものと理解して被申請人に広告掲載の話を持ちかけたため、被申請人は「向うの店はどう言つているのか」と聞き、「断わられたようだ」と言うので契約をしたにすぎず不正競争、営業妨害の意図は全くない。

三  抗弁

1  許諾の抗弁

昭和五五年七月二七日に、被申請人、申請人代表取締役奥村寿蔵、同取締役山本善次郎の三者間において、「(一)今後は会社と被申請人の営業を分離独立させ、それぞれ独立採算制で経営する。(二)内部の財務を分割し、その比率は後日検討する。(三)一、二年後には完全独立する。」との合意が成立した。その際、被申請人が分離独立して経営することとなる「大路店」の商号は、「菅次堂大路店」とすることが当然のこととして合意されたのであり、本件商号使用については明示若しくは黙示の許諾があつた。

2  権利濫用、信義則違反の抗弁

前記二記載のとおり被申請人が「菅次堂」を復興したこと、兄弟会社、同族会社の場合に分裂分家して「〇〇〇××店」と名乗る例は多々あり、これに対し商号使用差止の問題はおきていないのが健全な商慣習であるところ、本件申請は商慣習であるところ、本件申請は、商慣習に反すること、商号使用に許諾があること等の事情を総合すれば、本件申請が権利濫用、信義則違反となるのは明らかである。

四  抗弁に対する答弁

1  抗弁1は否認する。但し、昭和五五年七月七日以前に申請人の本店と大路店の営業を独立採算制に移行する旨の協議がなされたことはあるが、右独立は一、二年後であり、それまでに内部の財務分割について協議検討を行うこととされていたところ、その協議が成立していないにも拘らず、右同日以降被申請人は一方的に全くの独断による「独立」を図つたものであつて以来申請人と被申請人とは完全な絶縁状態にある。右状況下では、同月二七日に、申請人が被申請人に対し「菅次堂大路店」の商号使用を許容する余地は全くない。

2  抗弁2は否認する。

第三当裁判所の判断

一  結論を示せば、被申請人の本件商号使用が不正競争の目的をもつてするものであるとは認められない。以下に理由を述べる。

二  商法二〇条一項にいう「不正ノ競争ノ目的」とは、世人に自己の営業を既登記商号権者の営業と混同誤認させることにより競争しようとする目的、換言すれば既登記商号の有する信用ないし経済的価値を自己の営業に利用する意図をいう。

三  同条二項の推定は、既登記商号と同一の商号を使用する場合に適用されると解されるところ、本件における申請人の既登記商号は「株式会社菅次堂」であり、被申請人の使用する商号は「菅次堂大路店」、「スカジドウ大路店」あるいは「スガジド大路店」であるから彼此同一であるとはいえず、同条二項の適用はない。

四  当事者間に争いのない事実及び当事者双方の疎明によれば、「株式会社菅次堂」という商号は、江戸時代後期の文化文政時代、膳所において名金工として知られた初代奥村菅次の名前にちなんだものであること、「菅次堂」という名称は大正時代までは金細工業で名をなしていたが申請人らの先代奥村寿一の代に衰微し廃業同然となつたこと、昭和一〇年代の半ばころから申請人は時計やラジオの修理、組立技術を修得し、母の手助けをして時計、ラジオ、カメラ等の販売や修理に携つていたこと、第二次世界大戦前後の一時期、「菅次堂」という名称は使用されていなかつたこと、被申請人が復員した昭和二〇年から申請人が復員した同二四年一一月までの間は被申請人が母を助けて時計・ラジオ商を営んでいたこと、被申請人が復員した当時、「菅次堂」という名称は信用を失つていたので「奥村時計店」という名称を使用していたようであること、申請人が復員した当時には「菅次堂」の名称で時計・ラジオ等の販売・修理業がなされていたことその後は兄弟が協力して営業に携わりその経営は順調に推移し、昭和三七年一〇月には菅次堂は株式会社となり商号を「株式会社菅次堂」としたこと、その際兄寿蔵は代表取締役に、弟悦三は専務取締役となつたこと、右両名の所有株式数は双方平等としともに第一位の株主となつたこと、昭和三九年に至り被申請人はその家族とともに肩書住所地に居住することとなり同所で菅次堂大路店を開設したこと、その後は兄寿蔵は申請人肩書地において菅次堂本店の、被申請人は同大路店の営業をそれぞれ担当してきたこと、両店の商品の仕入れやその代金の支払いについては本店で一括して決済されてきたこと、昭和五五年に至り兄弟間にいさかいがおこり同年七月三〇日をもつて被申請人は申請人の専務取締役の地位を失つたこと、同年八月以降、被申請人は個人として「菅次堂大路店」、「スガジドウ大路店」あるいは「スガジド大路店」の商号で従前通り肩書住所地において営業を継続していること、以上の事実が一応認められる。

五  そこで被申請人に不正競争の目的があるか否かについて検討する。

1  申請人は、国鉄草津駅前の看板の書替えをもつて被申請人が不正競争目的を有していることの証左であると強く主張している。この点につき被申請人の疎明によれば、駸々堂の担当者が申請人方に広告契約更新の件につき訪れたが気のない返事をされたために被申請人方に話を持ち込んだことが一応認められるけれども、被申請人において直接申請人方に契約更新の有無を問い合せするなどしてその意向を確認することなくこれ幸いと看板内容を自己の店の広告内容に書替えてしまうなどは申請人の営業に対する妨害となることは明らかであつて営業上の信義を逸脱した行為であり強く非難されるべきである。しかし、右行為と被申請人が商法二〇条にいう不正競争目的を有しているか否かとは直接関連するものではない。即ち不正競争目的をもつて商号使用をなす場合には既登記商号権者の営業が結果的に妨害されることとなることは明らかであるが、営業妨害の意図と不正競争目的とはその評価の観点が異なり営業妨害の意図を有している場合には直ちに不正競争の目的があるとされるわけではなく別個の判断が必要であるから、右事実をもつて被申請人に不正競争の目的があるとは断じ難い。また申請人は、被申請人が滋賀県電気商業組合からの連絡を申請人に通知しなかつたり、顧客からの修理依頼を申請人に取りつがなかつたりなどして、ことさらに申請人の営業を妨害しているとの主張もなしているところ、右諸行為が営業上の信義に反するものとして問題となることは考えられるけれども、被申請人が申請人の営業を妨害する意図を有しているとしても、これをもつて直ちに商法二〇条にいう不正競争目的があるとはいえないことは右に述べたとおりである。

2  ところで、「菅次堂」という名称を復興させた経緯に関する当事者双方の主張には相当の隔たりがあるけれども、前記疎明された事実によれば、没落し一時期その使用もなされていなかつた「菅次堂」という名称を復興し得たのは寿蔵、悦三兄弟とその母との努力によるものというべきであり、少なくとも昭和二五年ころ以降は兄弟が相協力して「菅次堂」の営業に当つてきたものと認められる。

そして、昭和三九年以降においては、被申請人は株式会社菅次堂大路店の責任者として、また兄寿蔵は同本店の責任者としてそれぞれその営業を担当してきたことは前認定のとおりであるところ、当事者双方の疎明によれば、それぞれの顧客は、大路店は被申請人が経営し、本店は兄寿蔵が経営しているものと認識していたと一応認められるのであるから、それぞれの責任者の営業努力によつてその顧客の信用を得てきたものと推認される。また、株式会社菅次堂が個人営業から法人成りをした小規模の、いわゆる個人営業的同族会社であることは双方の疎明によつて明らかであり、昭和三九年以降におけるその営業の実体をみても顧客に対する関係においては右のとおり推認される以上、大路店あるいは本店という個々の営業店の信用、名声というものは、その各営業店の責任者の個人的信用、名声と表裏一体となつて獲得されてきたというべきである。被申請人は昭和五五年八月以降個人として従前通りその営業を継続し、前記各商号を使用しているが、右商号、ことに「菅次堂大路店」という商号の有する信用ないし経済的価値は、昭和三九年以来株式会社菅次堂の役員としての地位においてではあつたが同人自身が長年の営業努力を積み重ねて築き上げたものというべきであるから、右商号使用をもつて申請人の既登記商号である「株式会社菅次堂」の有する信用ないし経済的価値を自己の営業に利用する意図を有しているものとみるのは相当でない。

六  結局、本件に顕れた全疎明資料によるも、被申請人が不正競争の目的を有するとは認められない。従つてその余の点について判断するまでもなく本件申請はその理由がないから却下することとし、申請費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 佐の哲生)

目録(一)~(三)〈省略〉

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